賽の河原の“続き”を信じる力が、あなたのレジリエンスを育てる

こんにちは。
毛利まさるです。

「頑張っても報われない」と感じた経験はありませんか?

石を積んでも積んでも、誰かに壊されるような気がしてくるとき。
努力しても成果が見えず、「これ、意味あるの?」とつぶやいてしまう日。

人生には、そんな虚しさと向き合わなければならない時間が、何度もやってきます。

たとえば、毎日毎日勉強しているのにテストの点が伸びない。
必死に資料を作ったのに、上司から「で?」と一言で片づけられる。

頑張ったのに報われない。

石を積んでは壊される、あの“賽の河原”のように感じる。

そんなとき、人は心が折れそうになります。

しかし、賽の河原には続きがあるという話をご存じですか?

鬼が壊す、それでも石を積み続ける――賽の河原の本当の意味

レジリエンスとは「心の回復力」と訳されることが多いですが、実際にはそれ以上の力です。

それは、壊されたとしてももう一度積み上げる「選択をする力」と言えるかもしれません。

賽の河原の話では、子どもたちが石を積んでは壊され、また積んでは壊され…を繰り返します。
一見すると救いようのない話に思えるかもしれません。

実は、この話には続きがあるという説もあります。

その続きとは子どもたちは最終的に地蔵菩薩によって救われるのです。

あなたはこの話を知ってどのように感じましたか?

この“続き”があるかないかで、石を積む行為そのものの意味がガラリと変わってきますよね?

“ただ壊される”だけの世界に、“救われる希望”が加わる。

これこそが、人間が持つべき視点ではないでしょうか?

希望のない行動は、継続できない

人は「今やっていることが、どこかにつながっている」と信じられたとき、ようやく踏ん張れるものです。

どんなにレジリエンスがあったとしても、未来に可能性が見えない状態では長く持ちません。

「今はまだ成果が見えないけれど、いつか何かにつながるはずだ」
「目の前のこの作業も、きっと誰かの役に立つときが来る」
「この苦労も、あとで笑い話になる」

こう信じられることが、継続を生むのです。

たとえ鬼に壊されたとしても、「そのうち地蔵菩薩が来てくれる」と思えれば、もう一度石を積める。

これが、人間の底力なのです。

ハッピーエンドを信じるという技術

あなたが今日取り組んでいること。

もしかすると地味で、成果が見えにくくて、誰にも評価されないかもしれません。

しかし、それでも「これはどこかで意味がある」「最後はうまくいく」と信じることができれば、
不思議とエネルギーが湧いてきます。

これは現実逃避ではありません。
レジリエンスを高めるための“視点の選択”なのです。

もし、賽の河原に続きがなかったら。

もし、「人生なんて、積んでも壊されるだけ」と思っていたら、どこかで踏み出せなくなってしまう。

だからこそ、あなた自身の物語には、“続きがある”と設定してあげてください。

偉人の名言をひとつ

「希望とは、目に見えないものを信じる力である」

――ヘレン・ケラー

石を積み続けるあなたへ

私たちは日々、目に見えない“石”を積んでいます。
小さな努力、小さな善意、小さな我慢。

それらは、鬼が壊すように見えるときもあるかもしれません。

しかし、あなたの心の中に地蔵菩薩を住まわせてください。
最後にはきっと、救われる日が来ると信じてみてください。

そう信じて積んだ石は、何倍もの力で未来を支えてくれるのです。
それが、現代におけるレジリエンスという力の、本質なのだと思います。