
こんにちは。
毛利まさるです。
感情に左右される人をどう見るか
ディスカッション系の動画を見ていると、声の大きい人や言い切るタイプの人が「勝っている」ように見える場面があると思います。
編集もそのように作られていることが多く、勢いのある発言が決定打のように映るので、
視聴者も「やっぱりあの人のほうが論理的なんだ」と感じてしまいやすいです。
であるものの、その印象をそのまま自分の中に取り込んでしまう前に、一度だけでいいので立ち止まってほしいのです。
本当にあの流れは正しかったのか、本当に筋が通っていたのか、あるいは単にテンションが高くて押し切られただけなのか。
そこを見抜けるかどうかで、その後の思考の質がまったく変わっていきます。
感情と理屈がごっちゃになる瞬間
多くの場面で起きているのは、感情と理屈が一体化してしまっている状態です。
人は強い言葉を聞くと、その強さ自体を「正しさ」と勘違いしてしまいます。
特に対立構造がはっきりしている動画では、見る側の感情も乗ってしまいますから「言ってくれた」「代弁してくれた」という気持ちが先に立ちます。
しかし、その気持ちが先にあると、発言の中に混ざっている飛躍や前提抜きの主張に気づけなくなります。
なんだかしっくりこないなと思ったのに、そのしっくりこなさをうやむやのままにしてしまうのはこのためです。
つまり、論点がずれているのではなく、感情が前に出すぎて論点がぼやけているのです。
どこまでが感情でどこまでが理屈かを分ける
ではどうすればいいかというと、発言を聞いたときに「今の一言は感情の表明なのか、
それとも事実や因果を示す理屈なのか」を分けてとらえる癖をつけることです。
例えば「それはおかしいですよ」という言い方は多くの場合感情です。
「なぜおかしいのか」「何と矛盾しているのか」「どの前提を無視しているのか」といった説明がついて初めて理屈になります。
この見極めを習慣にしていくと、同じ動画を見ても受け取り方が変わりますし、そもそも編集で勢いを持たせているだけの場面にも気づけるようになります。
人の話を聞くときに、音量やテンポよりも、前提と結論のつながりを優先してチェックするのです。
観客側にも感情の増幅が起きている
もう一つ大事なのは、視聴している自分自身も感情に誘導されているという事実です。
編集された動画は、カットのタイミング、BGM、相槌の表情、サムネイルの言葉などで「こちら側に乗ってほしい」というメッセージを発しています。
つまりこちらも冷静に見ているつもりでも、実はすでに温度を上げられているのです。
であるものの、そこで「ちょっと待てよ、本当にこの人は説明できているか?」と立ち止まれれば、情報との距離が保てます。
距離が保てれば、感情に左右される人ではなく、感情を含めて情報を読む人になれます。
感情を否定するのではなく位置づける
ここで注意したいのは、感情は不要だ、と言っているわけではないということです。
むしろ議論において感情は重要な役割を持っています。どの価値を重く見るのか、何を守りたいのか、
どこに怒りを感じるのかは、論理だけでは決められません。
しかし、感情を先に置くのか、理屈で土台を作ってから感情を表すのかで説得力は大きく変わります。
感情をはっきり意識しておけば、どこからどこまでが説明で、どこからが気持ちの話なのかを切り分けられるからです。
しっくりこなかったら分解する
もし動画や会話を聞いていて「なんだかしっくりこないな」と感じたら、その感覚は無視しないでください。
多くの場合、その違和感は正しいです。
しっくりこなかったら、結論に飛ぶ前に「今のは感情だった」「ここからが理屈だった」「この部分だけ前提が抜けていた」と分解してみる。
すると、相手は勢いで言っていたのだなとか、自分は怒りに共感しただけだったなとか、冷静な構造が見えてきます。
これができるようになると、議論の勝ち負けに振り回されにくくなり、動画の編集にも左右されず、自分の思考で判断できるようになります。





