ブランドはあなたを映す鏡であるものの、主役ではない

こんにちは。
毛利まさるです。

ブランド品を身にまとう意味を、考えたことはありませんか?

あなたは、なぜそのブランド品を身につけているのか、ふと立ち止まって考えたことはありませんか?

そのデザインが本当に好きだからでしょうか。それとも、デザイナーの哲学や思想に共感しているからでしょうか。
しかし気づけば、ロゴが大きく見える位置に配置されたアイテムを選び、人の視線を意識して身につけていた、
そんな経験があったかもしれません。

その結果、「ブランドが好き」という感情と、「ブランドを持っている自分が好き」という感情が、いつの間にか混ざり合っていたと思います。

それは決して珍しいことではありません。
むしろ多くの人が、無意識のうちにその状態に陥っています。

ロゴが主役になった瞬間に起きていること

ブランドのロゴを前面に押し出したアイテムは、確かに目を引きます。
高価であることが一目でわかり、周囲から「すごいね」と言われることもあるでしょう。

であるものの、その瞬間に周囲が見ているのは、あなた自身ではありません。
見られているのは、あなたが身につけている“モノ”です。

ここが非常に重要なポイントです。

人は、自分が注目されていると錯覚します。
しかし実際には、評価されているのは「あなた」ではなく、「あなたの所有物」なのです。

自己顕示欲は悪なのか?

ここで誤解してほしくないのは、自己顕示欲そのものが悪いわけではないということです。
「認められたい」「すごいと思われたい」という感情は、人間として自然なものです。
しかし問題になるのは、その欲求を満たす手段を、外側の記号に完全に委ねてしまうことです。

ブランド品を身にまとうことで、自分の価値を証明しようとすると、承認の軸が常に他人側に置かれてしまいます。

すると、周囲の反応が薄れた瞬間に、不安が顔を出します。
「今日はあまり見られていない」
「思ったほど反応がない」
そんな些細なことで、自己評価が揺れ動く状態になってしまうのです。

ちやほや=評価だと勘違いしてしまう危うさ

ブランド品を身につけていると、確かに人は集まります。

しかし、それはあなたの中身に惹かれて集まっているわけではありません。

残念ながら、多くの場合、
「そのブランド、いくら?」
「それ、今流行ってるよね」
という会話で終わります。

つまり、あなたという人間に対する関心ではなく、情報としてのアイテムに対する関心なのです。
ここを勘違いすると、「自分は認められている」という錯覚が生まれます。

この錯覚が続くと、いつの間にか、ブランドがなければ自分の存在価値を感じられない状態に陥ってしまいます。

本当に成熟した人のブランドとの付き合い方

成熟した人ほど、ブランドを語りません。

なぜなら、語らなくても滲み出るものがあるからです。
その人の立ち居振る舞い、言葉の選び方、判断の軸。
そうした内面からにじみ出る一貫性が、結果として「その人らしさ」になります。

外見ではなく、どう在るか。そこに本質があるのです。

ブランドを身につける前に、自分の軸を持つ

ブランド品を身につけてはいけない、という話ではありません。

問題は順番です。

先に「自分はどう在りたいのか」という軸があり、その延長線上にブランドがある。
この順番が守られている限り、ブランドはあなたを引き立てる道具になります。
しかし逆になると、ブランドが主役になり、あなたは背景に下がってしまいます。

おわかりでしょうか。

ブランドを着ているのか、ブランドに着られているのか、その違いはここにあります。

あなたが見せたいのは、ロゴですか?

最後に、静かに問いかけたいと思います。
あなたが本当に人に見てほしいのは、ロゴでしょうか。
それとも、あなた自身でしょうか。

ブランドは語らなくてもいい。

自分の価値は、身につけなくても伝わる。

そう思えるようになったとき、ブランドは初めて「味方」になります。