
こんにちは。
毛利まさるです。
セミナーを受けた。
本を読んだ。
映画を観た。
仕事の打ち合わせに出た。
そのときは「いい話だったな」「勉強になったな」と思ったであるものの、数日後に友人から
「あれって、結局どんな内容だったの?」
と聞かれた瞬間、言葉に詰まってしまった経験はありませんか?
頭の中には感想は残っている。しかし、要点が出てこない。
その結果、「うまく説明できない自分は理解が浅かったのかもしれない」と、少しだけ自信を失ったと思います。
しかし、それは理解力が低いからではありません。
それは理解したつもりで止まっていたからです。
「誰かに説明できるか?」は、理解の最終テストである
人は、インプットした瞬間に「わかった気」になります。
特に話がうまい人、構成がきれいな人の話ほど、理解した錯覚が起きやすい。
しかし本当の理解とは、他人の言葉で再構成できる状態です。
友人から「あれってどうだった?」と聞かれたとき、
・一言で言うと何だったのか
・なぜそれが重要なのか
・自分はどこが刺さったのか
これを噛み砕いて説明できるかどうか。
ここが分かれ目です。
逆に言うと、これができない内容は、まだ自分の中に落ち切っていないのです。
「説明しようと考える」だけで、理解は一段深くなる
面白いのは、実際に説明しなくてもいいという点です。
「もし聞かれたら、どう説明するだろう?」
と頭の中で考えるだけで、脳は勝手に情報を整理し始めます。
・余計な情報が削ぎ落とされる
・重要なポイントが浮かび上がる
・自分の価値観と結びつく
つまり、説明を想定することで、インプットがアウトプット前提に変わるのです。
ですので、学びの質を上げたい人ほど、
「これ、誰かにどう説明する?」
を自分に問い続けています。
仕事ができる人ほど「要約」がうまい理由
仕事でも同じです。
会議、資料、上司の指示、顧客の要望。
情報量は多いであるものの、求められるのは常に「要点」です。
仕事ができる人は、
「結局、何の話ですか?」
「つまり、何をすればいいんですか?」
を無意識に自分に問いかけています。
その結果、行動がブレない。
逆に言うと、要点をつかめないと、どれだけ頑張っても空回りになりえないのです。
説明できないのは、恥ではない
ここで大事なことがあります。
説明できなかったとしても、自分を責める必要はありません。
「あ、まだ整理できていないな」
と気づけた時点で、理解は一段進んでいます。
わかりますか?
理解とは、できたかできていないかの二択ではありません。
深さのグラデーションなのです。
説明できない → 整理し直す → 自分の言葉にする
このプロセス自体が、成長そのものです。





