他人の失敗を「学び」に変える思考習慣

こんにちは。
毛利まさるです。

ニュースを見ていると、企業の不祥事や事業の失敗、著名人のスキャンダルが次々と報じられます。
それに対してSNSでは、「やっぱりな」「だからダメだったんだ」というコメントが並びます。
正直、その輪に入るのは簡単です。

なぜなら、あなたは当事者ではないからです。失敗の責任を負う必要もなく、痛みを感じることもありません。
しかし、そこで終わってしまった経験はなかったでしょうか?

あなたは、ニュースを見て一瞬スッキリしたものの、翌日には何も残っていなかった、そんな状態だったのではないでしょうか?

その結果、時間は使ったのに、思考も行動も何ひとつ変わらなかったと思います。

なぜスキャンダルは「他人事」で終わるのか

多くの人がスキャンダルを消費して終わってしまう理由は明確です。
自分と切り離して見ているからです。
「あの会社だから」「あの人だから起きたこと」

そうやって距離を取ることで、安心は得られます。しかし、その安心と引き換えに、学びの機会を手放しています。

それは、「自分はあの立場にはならない」と無意識に決めてしまっているからです。
しかし、冷静に考えてみてください。

環境、役職、タイミングが違えば、同じ判断をしていた可能性は本当にゼロでしょうか?

自分事として考えるということ

ここで大切なのは、「自分ならどうしたか」を考えることです。

さらに言えば、「今の自分が同じ状況だったら、どう判断するか」を具体的に想像することです。
これは単なる反省会ではありません。

「情報が限られた状態で、どんな圧力があり、どんな選択肢が見えていたのか」

そこまで踏み込んで考えることが重要です。

そうすると、当事者のコメントも違って聞こえてきます。
表面的には言い訳に見える言葉も、「組織の制約」「責任の所在」「逃げ場のなさ」といった背景が見え始めます。

おわかりでしょうか?

自分事として考え始めた瞬間、スキャンダルは単なるゴシップではなく、意思決定の教材に変わるのです。

失敗を笑う人と、吸収する人の差

「人の失敗は蜜の味」という言葉があります。
確かに、失敗談は刺激的で、感情を動かします。
しかし、ただ甘い蜜として消費してしまえば、それで終わりです。

それでは、どれだけ多くのスキャンダルを見ても、自分の判断力は磨かれません。
逆に言うと、他人の失敗を「もし自分だったら」という視点で受け止められない限り、どれだけ情報を浴びても成長にはなりえないのです。

自分事化がもたらす本当の価値

自分事として考える習慣がつくと、ニュースの見方が変わります。
感情的に批判するより先に、「構造」や「背景」を探すようになります。

それは決して当事者を擁護するという意味ではありません。
むしろ、「自分が同じ穴に落ちないための地図」を描いているのです。

そして、この思考は日常の意思決定にも影響します。
目先の数字、短期的な評価、周囲の空気。

そうしたものに流されそうになったとき、「あのときの事例」がブレーキとして働きます。

スキャンダルは、誰かが差し出した教材である

スキャンダルの当事者は、望んで失敗したわけではありません。
結果として、その経験が世に共有されています。
それをただの話題にするか、学びに変えるかは、受け取る側次第です。

単なる蜜にするのか、それとも他人が与えてくれた学びの蜜として受け止めるのか。
もし次にニュースでスキャンダルを目にしたら、少しだけ立ち止まってみてください。

「自分だったらどうしただろうか?」
「今の自分なら、同じ判断を避けられるだろうか?」

その問いを持つだけで、情報はあなたの武器になります。