
こんにちは。
毛利まさるです。
子供の頃に信じた「公平」という感覚
あなたは子供の頃に「頑張れば結果がついてくる」「努力した分だけ報われる」
といった言葉を聞いてきたのではないでしょうか。
学校のテストや部活動では、それがある程度成立していました。頑張った人が点数を取り、努力した人がレギュラーになれる。
だから「公平さ」という感覚は自然に身についていたのです。
しかし、社会人になるとその「公平さ」が簡単に崩れ去る現実に直面します。
同じように頑張っていても、自分ではなく同僚が評価される。
明らかに自分の方が成果を出していると思っているのに、上司からの評価は低い。
そうした経験をした人は少なくないはずです。
公平さが成立しない理由
なぜこのようなことが起きるのか。
それは「人が人を評価する」からです。
社会における評価は、機械のようにデータだけで下されるものではありません。
必ず人間が介在するため、そこには感情や人間関係が大きく影響します。
たとえば、上司が「信頼できる」と思う人は、多少ミスがあっても前向きに評価されやすい一方で、
普段から「扱いにくい」と思われている人は、同じ成果でも厳しく見られる。
これは良い悪いではなく、現実の仕組みそのものなのです。
だからこそ「もっと公平な評価があるべきだ」と叫んだところで、すぐに現実が変わるわけではありません。
公平さを徹底的に求め続けると、逆にストレスが積み重なり、自分自身が消耗してしまいます。
割り切りとレジリエンス
ここで大切なのは「公平を求めてもきりがない」と割り切ることです。
そのうえで、では自分にできることは何かを探すことがレジリエンスを高めるポイントになります。
世の中は不公平であるものの、その中で自分がどう立ち回るかで状況は変わるのです。
例えば、評価されないことに不満を抱くのではなく、「では自分がもっと強みを示せる分野を広げてみよう」と考えて行動すること。
あるいは「この上司からは正当な評価を得にくいかもしれない。
では別の人から自分の価値を認めてもらえる環境を作ろう」と戦略を変えること。
そうすれば、感情的に「不公平だ」と悩む時間を、自分の成長や次の行動に変えることができます。
歴史から学ぶ大義と割り切り
歴史を振り返れば、人類は常に「公平さ」に悩んできました。
戦国武将たちも、正義や忠義を掲げながらも、結果的に勝者が歴史を描き、敗者は忘れ去られました。
つまり、そもそも公平など存在しなかったのです。
心理学的にも「完全な公平」を人は求めがちですが、実際には「認知のゆがみ」に過ぎないことが多いのです。
だからこそ、「公平さは存在しない」と理解しつつ、自分にとって意味のある大義や目標を持ち、
それに向かって歩み続けることが最も賢い生き方なのです。
公平さを超えて生きる
不公平を嘆くのではなく、その現実を認めたうえで、自分の立ち位置をどう変えるのかを考えること。
これが社会で長く生き抜くために必要なレジリエンスです。
もしあなたが今「不公平だ」と思っているなら、それはチャンスでもあります。
視点を変えて、自分の強みを別の形で発揮できる場所を探してみてください。





