
こんにちは。
毛利まさるです。
長い目でみると回収できることを信じられなくなった経験はありませんか?
一生懸命やってきたのに、今振り返ると何も残っていない気がする。
時間もお金も使ったのに、成果として見えるものがない。
その結果、「あれは無駄だったのではないか」と、自分の過去を少し否定したくなった。
しかし、ここで一度立ち止まって考えてみてほしいのです。
本当にそれは、完全な無駄だったのでしょうか。
人脈は名刺の枚数だと思っていた頃の話
私自身、若い頃は「人脈とは名刺の数だ」と本気で考えていました。
異業種交流会に頻繁に参加し、とにかく多くの人と名刺を交換する。
名刺ホルダーが分厚くなるほど、自分の価値も高まっているような錯覚があったのです。
しかし、時間が経つにつれて現実に気づきました。
そこから実際につながった人は、ほとんどいなかったのです。
今考えれば当たり前の話です。
何者でもない自分に、継続的な関心を持つ理由は相手にはなかった。
その事実に気づいたとき、私は異業種交流会に参加することを一切やめました。
では、その経験は無駄だったのか
ここで一つ問いが生まれます。
その経験は、完全に無駄だったのでしょうか。
たしかに「人脈づくり」という目的だけを見れば、ほぼ無駄だったと言えるかもしれません。
しかし、別の視点で見てみると話は変わってきます。
知らない人に声をかけること。
初対面の相手と短時間で会話を組み立てること。
場の空気を読みながら立ち回ること。
これらは、当時は意識していなかったであるものの、確実に身についていました。
今では、初対面の人と話すことにほとんど緊張しません。
あの頃の経験が、静かに今の自分を支えているのです。
経験は形を変えて回収される
人生における経験の厄介なところは、「いつ」「どの形で」回収できるのかが分からない点にあります。
すぐに成果が出ないと、不安になります。
役に立っていないように見えると、自分の判断を責めたくなります。
しかし、経験は直線的に回収されるとは限りません。
遠回りに見えたことが、別の場面で効いてくる。
当時は失敗だと思っていたことが、後になって意味を持つ。
そんなことは、決して珍しくないのです。
人生万事塞翁が馬という考え方
ここで、ぜひ覚えておいてほしい言葉があります。
それは「人生万事塞翁が馬」です。
これは中国の故事成語で、幸不幸は簡単に判断できず、悪いことが良い結果につながることもある、
という意味を持っています。
目の前の出来事だけで、価値を決めつけない。
今の評価を、人生全体の評価だと思い込まない。
この視点を持てるだけで、過去に対する見方は大きく変わります。





