言葉の裏にある“思考”の違い

こんにちは。
毛利まさるです。

文化を学ぶということ

英語を学ぶとき、多くの人が「文法」や「単語力」を重視します。
しかし、本当に英語を使いこなしたいなら、その言葉の背景にある文化を学ぶことが欠かせません。
なぜなら、言葉は文化の鏡であり、文化を知らずしてその言葉の本質は見えてこないからです。

言葉の構造が文化を映す

日本語には「阿吽の呼吸」という表現があります。

これは、相手の気持ちを察して言葉を交わさなくても通じ合うという、非常に日本的な感覚です。
日本語は主語や目的語を省略しても意味が通じることが多く、あいまいさの中に思いやりや調和を重んじる文化が宿っています。

一方で英語は真逆です。主語動詞目的語が明確で、誰が、何を、どうしたのかが一文の中で必ず示されます。
これは、個人の意見や責任を明確にすることを重んじる英語圏の文化そのものです。
英語の構文を学ぶというのは、単に文法を覚えるというより、「自己を明確にする文化」を体験することでもあるのです。

曖昧を尊ぶ日本、明確さを求める英語

たとえば、会議で上司に意見を求められたとき、日本人は「そうですね」「一度持ち帰って検討します」といった表現を使うことが多いです。
これは、相手との調和を保ちつつ、衝突を避ける日本的な表現です。

しかし、英語で同じ場面なら、「I think we should try this way.(私はこうすべきだと思う)」とはっきり意見を述べることが求められます。
曖昧な言い回しをすると、「結局どうしたいのか分からない」と受け取られることもあります。

つまり、言語の違いは単なる表現方法の違いではなく、「人との関わり方」「責任の持ち方」「伝え方の姿勢」の違いなのです。

ビジネスに求められるのは英語的思考

ビジネスの世界では、結論を先に述べ、主張を明確にする英語的な構成が求められます。
報告書やプレゼン資料で「何が問題で」「どう解決するのか」をはっきり示すことが重要です。

これは英語圏のビジネス文化に近いものがあります。

したがって、「英語を学ぶこと」は、単に外国語を話す力を得るだけでなく、「論理的に考え、相手に分かりやすく伝える訓練」にもなります。
言葉の裏にある文化を理解すれば、どんな言語もより深く使いこなせるようになるのです。

文化を学ぶことが「視点」を広げる

たとえば、英語の「I」と日本語の「私」には、似ているようで大きな違いがあります。

英語では「I」は常に大文字です。
これは、個人を尊重し、自分の意見を持つことを大切にする文化を象徴しています。

対して日本語では「私」は文中で小さく書かれ、時に省略もされます。
これは、個よりも全体の調和を重んじる日本文化を反映しています。

こうした違いを理解することで、異文化への理解が深まり、自国の文化の特徴も客観的に見られるようになります。
英語を通じて「日本人らしさ」に気づく
これこそが文化を学ぶことの醍醐味なのです。

学ぶということは「生き方を知ること」

文化を学ぶことは、単に知識を増やすことではありません。
それは、他者の価値観を知り、自分の生き方を見つめ直すことでもあります。

言葉を通して文化を知ると、自分が普段どのように考え、何を大切にしているのかが浮き彫りになります。

もし今、何かを学んでいるなら、ぜひその「文化」まで含めて学んでみてください。
英語を学ぶなら、英語圏の人々が何を大切にし、どんな価値観を持っているのかを知ること。

そうすることで、単なるスキルではなく、「思考の幅」そのものが広がります。
そして、他者の文化を理解するほど、自分の文化もより鮮やかに見えてくるはずです。