KOした相手に追い打ちをかけていないか

こんにちは。
毛利まさるです。

会議で相手を論破してしまった経験はありませんか?

会議の場で、相手の発言に違和感を覚え、つい理屈で正しさを積み上げてしまった。
論点は整理できている。数字も根拠も揃っている。
その結果、相手は言葉に詰まり、沈黙が流れる。

「勝った」と言えば勝ったのかもしれません。

しかし、会議が終わったあと、どこか空気が重くなり、妙な疲労感だけが残った。

そんな経験はありませんか?

完膚なきまで痛めつける構図の正体

映画や漫画では、敵を完膚なきまで痛めつけるシーンがよく描かれます。
であるものの、よく考えてみると、そうやって徹底的に相手を叩いた悪役は、最後に必ず主人公から強烈な反撃を受けます。

なぜでしょうか。
それは、完膚なきまで痛めつけられた側に「憎しみ」が残るからです。

理屈ではなく、感情としてです。

格闘技にある「暗黙のルール」

たとえば格闘技では、KOが決まった瞬間に勝負は終わります。
倒れた相手に追撃をすれば、それは反則です。

なぜなら、もう一本取っているからです。それ以上は必要ないのです。
勝敗が決しているのに、さらに殴る行為は「強さ」ではなく「暴力」になります。

組織で起きている静かな追撃

これが組織の中に持ち込まれると、少し形を変えます。
会議の場で、相手の説明が詰まった瞬間を逃さず、

「それは違いますよね」
「では、この数字はどう説明するのですか」

と細かく追及する。

論理的で、冷静で、正しい指摘であるものの、それはKOした相手に追い打ちをかけている状態と、実はとてもよく似ています。

指導といじめの境界線

ここで一つ、大切な視点があります。
それは「相手から新しい答えが出てくる余地があるかどうか」です。

問いかけによって思考が深まり、視点が広がるなら、それは指導です。
しかし、すでに答えが出ないと分かっている状況で追及を続ける場合、それは指導ではなく、いじめに近づいてしまいます。

本人は「よかれと思って」やっている。
しかし、受け取る側は「否定された」「さらし者にされた」と感じてしまう。

このズレが、組織の空気を静かに壊していきます。

論破は問題を解決しない

論破とは、相手を黙らせる技術です。
しかし、黙った相手は納得しているわけではありません。

むしろ、心の中で距離を取り、次から本音を出さなくなります。
逆に言うと、会議で本当に価値があるのは「勝つこと」ではなく、「次の一手が前向きに動き出すこと」なのです。

強い人ほど、引くことができる

本当に力のある人は、相手をねじ伏せる必要がありません。

必要なところで止めることができます。

「ここまでで十分ですね」
「論点はここまで整理できました」

そう言って場を収めることができる。
それは優しさではなく、判断力です。

自分を守るための視点

ここまで読んで、「自分はやってしまっているかもしれない」と感じたなら、それはあなたが無自覚に他人を傷つけたい人ではない証拠です。

大切なのは、正しさを抑えることではありません。
正しさをどう使うかです。
KOした相手に追撃をしない。

それだけで、あなたの信頼は長く残ります。