
こんにちは。
毛利まさるです。
挑戦している人を見て、心がざわっとした経験はありませんか?
誰かが新しいことを始めたとき。
手を挙げて前に出たとき。
まだ結果も出ていない段階で、周囲から注目を集めたとき。
その姿を見て、なぜか心がざわっとした。
「目立ちたいだけじゃないか」
「どうせ続かないだろう」
そんな言葉が、ふと頭をよぎった経験はありませんか。
その結果、自分でも理由がよく分からないまま、少し距離を取ってしまった。
しかし、それはあなたが意地悪だからでも、性格が悪いからでもありません。
人は誰でも、自分の内側にある不安に触れたとき、心が揺れるものだからです。
なぜ人は挑戦する人を笑ってしまうのか
挑戦している人は、ある意味で「未来の可能性」を体現しています。
うまくいくかどうかは分からない。
失敗するかもしれない。
それでも一歩を踏み出している。
その姿は、見ている側の心に問いを投げかけます。
「自分は、最近何かに挑戦していただろうか?」
この問いに正面から向き合うのは、少し勇気がいります。
だからこそ、人は無意識のうちに挑戦を矮小化します。
笑ったり、冷ややかに見たりすることで、自分の心を守ろうとします。
であるものの、それは一時的な安心に過ぎません。
本当に怖いのは、他人の言葉ではない
ここで一つ、とても大切な視点があります。
それは、あなたが誰かの挑戦をあざ笑ったとき、その言葉は外に出て終わりではない、ということです。
一度口にした言葉や、心の中でつぶやいた評価は、必ず自分の中に残ります。
そして、いざ自分が何かに挑戦しようとした瞬間、同じ言葉が今度は自分自身に向けられるのです。
「どうせ無理だろう」
「恥をかくだけじゃないか」
「今さら始めても遅い」
つまり、挑戦する人を笑うことは、未来の自分の挑戦を止める“内なる声”を育ててしまう行為でもあるのです。
おわかりでしょうか?
これは道徳の話ではなく、極めて実用的な話です。
挑戦を笑わない人が得ているもの
逆に、挑戦している人を見たときに、こう思える人もいます。
「すごいな」
「自分もいつかやってみたいな」
このスタンスを取れる人は、心の中に余白があります。
他人の行動を、自分への脅威ではなく、刺激として受け取れるからです。
そして不思議なことに、そういう人ほど、いざ自分の番が来たときに一歩を踏み出しやすいのです。
なぜなら、心の中に「挑戦=恥ずかしいもの」という前提がないからです。
挑戦は、特別な人のものではなく、選択肢の一つとして自然に存在しているのです。
完璧な状態など、永遠に来ない
多くの人が挑戦できない理由は、「まだ準備が整っていないから」です。
しかし、準備が完璧に整う瞬間は、ほとんど来ません。
それでも挑戦する人は、準備不足を承知の上で動いています。
その姿を笑うのか、尊重するのか。その選択が、数年後の自分の行動範囲を静かに決めていきます。
ですので、無理に応援する必要も、称賛する必要もありません。
ただ、笑わない。それだけで十分なのです。





