
こんにちは。
毛利まさるです。
相手に理解されないことのいらだたしさ
「これだけ言ったのになぜ分からないんだ!」
そんな感情が湧き上がった経験はありませんか。
丁寧に説明したつもりなのに伝わらない。
何度も繰り返しているのに行動が変わらない。
その結果、どっと疲れが出てしまったことがあったと思います。
もちろんそこには、相手の成長を願う気持ちがあります。
良くなってほしい、成功してほしい、遠回りしてほしくない。
その思い自体は、とても尊いものです。
しかし、感情が強くなりすぎるとき、別のものが混ざっている場合があります。
本当に怒っているのは何か
自分の言った通りに動かない。
何度言っても変わらない。
それは表面的には「理解されない」ことへの怒りです。
しかし、少し深く掘り下げると、違う顔が見えてきます。
それは、「無視された」と感じる心です。
もっと言えば、「軽んじられた」と感じる心です。
自分の言葉が響かなかったことが、自分自身の価値が否定されたように感じてしまう。
その瞬間、怒りは一気に膨らみます。
支配欲という静かな影
ここで少しだけ勇気を出してみます。
もしかすると、そのいらだちは「支配欲」から来ていることもあります。
「自分の言う通りに動いてほしい」
「正しいのは自分だ」
この思いが強くなりすぎると、相手の理解の速度や背景を置き去りにしてしまいます。
これは決して悪人だからではありません。
人は誰でも、自分の正しさを証明したい生き物だからです。
しかし、それが行き過ぎると「傲慢さ」に近づいてしまいます。
成長を願う心と、コントロールしたい心
相手の成長を願う心と、相手をコントロールしたい心。
この二つは、似ているようでまったく違います。
前者は「相手の未来」を見ています。
後者は「自分の感情」を守ろうとしています。
どちらが強くなっているのか。
そこに気づくだけで、怒りの質は変わります。
ひとりごとの力
もし、相手に理解されないことでいらだちを感じたとき。
その場で一度、心の中でつぶやいてみてください。
「この感情は、自分が馬鹿にされたことによるものだろうか?」
それだけで構いません。
答えをすぐに出す必要はありません。
ただ問いを置くだけで、怒りの勢いは少し落ち着きます。
人は、自分の感情を客観視した瞬間、その感情の支配から少し自由になります。
理解されるとはどういうことか
そもそも、理解とは何でしょうか。
相手が自分と同じ結論に至ることでしょうか。
それとも、自分の意図を完全に再現してくれることでしょうか。
人はそれぞれ、経験も価値観も前提も違います。
同じ言葉でも、受け取り方は変わります。
理解とは、同意ではありません。
そして、即時性も保証されていません。
そう考えると、「すぐ分かるはずだ」という前提そのものが、実は少しだけ強引だった可能性もあります。
伝えるということ
伝えるという行為は、相手を動かすことではありません。
種をまくことに近いものです。芽が出るかどうかは、相手の土壌とタイミングに委ねられています。
今すぐ芽が出なくても、見えないところで変化が起きていることもあります。
焦りは、自分の期待が生むものです。
その期待を少し緩めるだけで、関係性は驚くほど穏やかになります。
いらだちの奥にあるもの
いらだちは悪ではありません。
それは、あなたが真剣である証拠です。
ただし、その奥にある本当の感情を見つめることが大切です。
「自分は尊重されたいのだ」「自分の存在を認めてほしいのだ」
そう気づけたとき、怒りはやわらぎます。
相手に理解されないことは、あなたの価値が低いことを意味しません。
ただ、まだ届いていないだけかもしれません。
そのときこそ、深呼吸してみてください。
そして、あのひとりごとをつぶやいてみてください。
感情に振り回されるのではなく、感情を観察できるあなたであること。
そこに、本当の強さがあります。





